不育症のおかげで色々気がつくこともある。悲しいことばかりじゃない、毎日を楽しく過ごしたい♪オクの雑記。*注子宝に恵まれるこの木村さん画像は「赤ちゃんを作ろう!」さんから頂きました。


by okumakoda
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妹が相当まいっているようだと、母親から電話があった。
「悲しいのはわかるけど、世の中にはもっと辛い経験をしてるひとたちがいっぱいいるんだから」と、母親。

確かに世の中には色々な人たちがいて、
色々な悲しい出来事、辛い出来事があって、
「それに比べたら」という励ましは
もちいりやすい安易な慰めの言葉だ。

でも私は思う。

ひとは「ひとり」だ。
感じる感情は、抱く感情は「そのひとりのもの」であって、
それはけして「だれか」との「比較」では癒せない。

「だれか」が大変だからって、悲しいからって、辛いからって、だから「私は幸せ」なんだということにはならない。「私は恵まれてる」と自分を満足させることなんてできない。

「私」は「だれか」じゃないからだ。

酷いことを言うようだが、「だれか」の悲しみに同情することはできても、私はその「だれか」ではないから、「だれか」の抱いている悲しみ、苦しみを完全に理解することはできない。理解できないものは比較できない、それになにより今現在自分が辛いのだ、悲しいのだ、「どこかのだれか」が辛かったからといって、悲しかったからといって、それがどうした、というのが正直な気持ちだ。

ならばどうやってこの悲しみ、苦しみを癒せばいいのか。
再三申告している通り、最終的かつ唯一の手段は「時間」だ。
しかし抱えている悲しみや苦しみが大きいほど、重いほど
その人の「時間」はようようと過ぎてはくれない。

以前、「速度の違う、周囲の時間と自分の時間をあわせてみる」
ということを提案したと思うが、もうひとつ方法がある。

それは「感謝する」ということだ。

辛いこと、悲しいことを、それを乗り越えたときに、
きっとそのときのことを思い出して、
その辛さ、悲しさがあるからこそ、「今」を大切に感じることができるのだと、その辛さ、悲しさに感謝することができるようになる、と。
そのために必要な痛みなのだと、泣きながらでも、うつむきながらでも、無理やりでも、いい。
「ありがとう」と思うことで。

その辛さ、悲しさは「無駄」にはならなくなる。

「冬の厳しさを知る人は、春の暖かさを感じることができる。それは幸福と不幸の関係に、どこか似ている」

私の大好きな星野道夫さんの言葉を、思い出した。
(ちょっと違うかもしれないけど)
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by okumakoda | 2010-01-08 06:55 | 日常のこと